TOEFL・GMAT対策、MBA・LLM・大学院留学のアゴス・ジャパン横山 匡のブログ|Japan Trip 卒業後は現地コーディネータとして!

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2009/02/03

Japan Trip 卒業後は現地コーディネータとして!

このところ、ケネディースクールに関わる人たちとのエピソードが続いていますが、今日は、出願プロセスで関わらせてもらう機会があった、フルブライターで、2年間で Kennedy School Stanford Graduate School of Business  の Sloan Master's Program の 両方を卒業された、現在広島に在住の土井秀文さんから届いたメッセージを紹介させていただきます。

土井さんとは在学中、卒業後と、いろいろなやり取りをさせてもらい、わざわざ東京まで来ていただきパネリストとしてイベントに参加いただいたりと、協力いただいていますが、今回は、私もブログで何度か紹介していますが、多くのMBAプログラムや一部の公共政策・国際関係大学院の在校生が主催して、留学先のクラスメートを日本に連れてくる、Japan Trip に関するメッセージをいただきました。 今回の土井さんからのメッセージは、在校生幹事としての活動ではなく、多くの Japan Trip
が訪れる「ヒロシマ」の現地コーディネーターとして関わった際の感想です。

今回は、スタンフォードのビジネススクールの学生を迎えてのツアーとの事で、12月に訪問した際に会う機会に恵まれた日本人在校生が、幹事として来日しているので、土井さんからもらった写真も、より楽しく見させてもらいました。このような詳細な報告のメッセージを用意してもらい、感謝感謝です。

土井さん、ありがとうございました。多くの外国人学生が訪問して、ヒロシマ の歴史に触れているのに対し、まだ自分自身がそういう機会を作って来ていないことが残念、かつ恥ずかしい気持ちです。土井さんがそちらにいるうちに訪問したいと思います。 では、以下、頂いたメッセージ紹介させていただきます。

タイトル:広島人として頑張ってみました

横山様

広島から土井秀文です。ご無沙汰しておりますが、如何お過ごしでしょうか?

全く恐ろしい世の中になったもので、今年卒業する学年の就職状況はどうなっているんでしょうね。投資銀行群が悉く冷え込み、コンサルティングファームだけでは到底卒業生を吸収しきれないだろう、ということまでは想像がつきますが、その先がどうなるのか。学校自体も相当厳しいようで、元々あまり裕福ではない我がKSGはともかく、Faust、Henneseyの両総長からも寄附を募るメールが頻繁に届きます。

さて、そんな中ですが、当方は昨年の暮れ、Stanford GSBのStudy Tripを、広島在住の一卒業生としてお手伝いさせていただきました。MBAの日本人学生は各学年3人ということで、準備は結構大変だったようです。

京都から新幹線で広島入りして、まず駅前にある私の行きつけのお好み焼き屋でランチ。さらに広島電鉄に事前に相談して、「あの日」広島を走っていて、今なお現役という「被爆電車(5両が現存し、3両が現役です)」を、駅から原爆ドーム前まで貸切運行しました。私も今回初めて知ったのですが、料金は普通の貸切と同じで、たった15000円でした。観光バスより安くて、絶対印象に残り、しかもノンストップで早い(駅~原爆ドーム間約15分)と良いことずくめです。もっと他の学校にも宣伝したいですね。

お好み焼き屋では西海岸の学生らしく賑やかだったのですが、ワイワイ騒いでいたのも電車の中まで。車窓に原爆ドームが見えた瞬間、皆が窓にへばりつき、雰囲気が一変してしまいました。

私は子供の頃から散々見慣れてきたので、ある意味フツーの風景になってしまってますが、大人になって初めてあの瓦礫を見た、となると、やはりある種の感慨にとらわれるようです。例えば私が今アウシュヴィッツに行ったら、やはりしばらくは言葉が出ないでしょうから、同じような心情でしょうか。

まず原爆ドームの前で、チェコの建築家が作った、今で言うコンベンションセンターだった、当時の広島では尤もCoolでModernな建物だった、爆心地に近いこの地区でたった二つ残った建物の一つだ、、、等ということを説明しました。

次いで平和公園レストハウスです。これがもう一つの残った建物で、他は後で資料館のジオラマにあるように全て吹き飛んだ、原爆が落ちた時、この建物の地上階に居た人達は即死したが、たまたま地下の倉庫で書類を探して居た人は何も聞かず何も感じなかった、これが原爆の特徴的な点の一つだ、などということを説明しました。

このあたりまでは単に事実の経過だったんですが、次に千羽鶴で有名な「原爆の子」の像、さらに慰霊碑(納骨堂)と回るうちに、ちょっとこちらがやりにくいくらい「シーン」とされてしまいました。

でも納骨堂は是非とも見せたかったのです。ここには身元不明の約8万、さらに身元が分かっていても引き取り手が見つからない約800の遺骨が納められていること、今でも建設工事の際等に見つかった遺骨はここに収められること、私が通っていた小学校でも校舎の建て替えの時に数百の遺骨が見つかってここに収められたこと、広島市役所は遺骨の引き取り手を探す作業を現在もなお続けていること、等を説明しました。

やれ何十万人日本人に殺されたのと声高に騒ぎ立てる人達が世の中には居るわけですが、「十数万の死者が出た」ということは具体的にどういうことか、広島に来た学生諸君には、事実とプロパガンダの致命的な差を見てもらいたかったのです。カンボジアでもルワンダでもそうですが、それだけの数の人が事実として「死んだ」ということは、実際にこれだけの遺骨があるということであり、60年以上経った今もなお新たに発見される、ということでもあるのですから。

さらに考えがあったので、あまり有名でない施設、国立原爆死没者追悼館に連れていきました。ここには当時撮影された爆心地からの360度写真を全周に表示した部屋があります。なかなか壮絶な風景です。展示室の中心には8時15分の時計をかたどった噴水型のオブジェがあります。8時15分は正確な爆発時刻だったかどうか実はわからないこと、生存者の時刻に関する証言は食い違っていること、しかし原爆を投下したティベッツ大佐が報告書に8時15分と書いたのでこれが広く通用していること、ここ以外にも噴水や池が沢山あるのは、被爆者が皆水を欲しがって亡くなったからだということ、等を説明しました。

この施設では数年前から、原爆で亡くなった方の遺影を収集・登録しています。現在までに集まったのは全死没者のせいぜい1割で、この先もどこまで増えるかわかりません。しかし、氏名が判明している犠牲者の方については、全てここに名前が登録されています。ここではそのうち二人の遺影を見せるのが目的でした。一人目は千羽鶴の佐々木貞子さん、もう一人は、「石段の人影」を残したとされる越智ミツノさんです。

越智さんの写真を画面に表示して、「この後諸君は資料館で彼女に会うことになる。正確には、彼女が石段に残した”影”に会う。」と言った後の皆の沈黙はさすがに重苦しかったです。

ここでも言いたかったことは納骨堂と同じで、「十数万人が死んだ」と言われても、広島生まれの私にとっても、それだけではただの「数字」です。知識として知っていても、具体的に理解は難しい。しかし、こうやって一人一人の写真を見れば、この人達が皆、私達と同じ人間で、家族も仕事も未来もあった人達だということが理解してもらえると思う、というようなことを説明しました。プロパガンダではない「事実だけが持つ重み」を、知ってほしかったのです。


その後平和の灯火を見て、慰霊碑の前で黙祷、資料館の中ではイヤホンガイドで自由行動にして、私は要所要所に立って、聞かれたら答える、という形で案内しました。

質疑応答はこんな感じでした。

Q:どうして皆広島を捨てなかったのか?
A:放射能汚染については、当時誰も知らなかった。また他の都市も多くは焼け野原で、他に行くところがなかった。焼け野原になってもここは自分が住んでいる街であり、不動産や仕事を持っている人もおり、また広島の他の機能が全て消滅したわけではない、そう言った事情で、人々はここに留まったのだと思う。

Q:今はもう放射能の影響はないのか?(これはかなり気になっていたようで、複数人から聞かれました)
A:科学的な意味では完全にゼロではない。現在も残留放射能について計測・研究している施設が市内にある。しかし、生活に影響はない。私も広島生まれだが、至って健康だ。

Q:かなりショッキングな内容の展示があったが、子供にも見せるのか?
A:広島のほとんどの学校が遠足で資料館に来る。「資料館の展示は怖い」というのは私の小学校時代も評判になっていた。正直、一種のトラウマ的な体験だが、成長するに従って、その意味は理解できるようになった。

Q:もし日本がアメリカに原爆を落としていて、アメリカで資料館を作ったら、全く違う内容になっただろうと思う。展示ではちっともアメリカを非難していないが、どうしてか?
A:この資料館の展示は、アメリカ、中国、韓国などの代表を含むInternational
Board のアドバイスを受け、万国の人に受け入れられる中立的な内容になるよう、慎重に配慮されている。また、とにかく核兵器は Extreme なもので、全人類の問題だから、国がどうのこう
のと言っていられない、と広島と長崎の人は思っている。故に常に No More
Hiroshima / Nagasaki と言い、決して Remember と言わない。また、第二次大戦において、日本人が決して Innocent ではないことも理由の一つだろう。


資料館を出たところで、「広島生まれの一人として、皆さんが今日示してくれた
Sincere Interest に心から感謝します。ビジネス、非営利、政府や国際機関等々、どの道に進んでも、是非今日見たことを忘れないで下さい。犠牲者達もそう願っていると信じます。」と締めくくったら、大きな拍手をもらいました。

今回のことは、卒業生宛のメルマガで Japan Trip について触れられていたので、私から「広島に住んでいるので、何か役に立てれば・・・」とコンタクトしたことから始まったのですが、母校に、広島に、日本に、また多少なりとも世界の未来に、それぞれなにがしかの貢献をすることができて、自分でもとても満足しています。留学中もそうでしたが、やはり自分から「一歩踏み出してみる」ということは、とても大事ですね。

今度は3月にKSG(改めHKS)が来ます。ある意味、この種の問題のエキスパート達が集まる学校ですから、満を持して迎えようと思います。

長文失礼しました。上京した際にはお目にかかれればと存じます。また来広の節は必ずご一報の程。

ではでは。

土井秀文

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