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2008/09/26

オリンピックを振り返って

こんにちは、大久保です。
横山がアメリカ出張に出ました。オリンピックに関して書いていた原稿をアップする前に旅立ってしまったので、私が勝手にアップしています。スポーツ談義になるときりがないので(楽しいのですが…)、「帰ってきて加筆する前に出しちゃおう!」という判断です、笑。

皆さんの印象に残るシーンは何ですか?

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皆さんの記憶にはっきりと残っている最初のオリンピックはいつだったでしょうか?

私は、東京オリンピックのときに6歳。甲州街道でマラソンを「見た記憶」は、きっとあとから聞いて「見たつもり」になったのだろうと思います。正直あまり覚えていない。1968年のメキシコも、あとで見たビデオで見た気になっているのでしょう。マラソンで君原選手が2番手で入ってきて、首を振りながらゴールしたシーンは、ライブで見たのかどうか定かではありません。

そして72年の札幌オリンピック(当時は冬と夏は同じ年にオリンピックが開催されていた)。これははっきりと覚えています。冬のオリンピック史上初の金メダリストが70メートル級(現在のノーマルヒル)のジャンプで生まれた瞬間は、母親とテレビの前20センチで食い入るように見ていたのを覚えています。あのときの金、銀、銅独占の日の丸飛行隊の銅メダリストの青地選手が先日病気で他界したとのニュースは、時の経つのを感じるとともに、なんだかとてもさびしく感じたのを覚えています。きっと、あのオリンピックが、その年の夏にイタリアに引っ越すことになった私にとっては、日本での思い出としても印象深かった出来事であったのだろうと思います。 

72年の夏のオリンピックは、ミュンヘン。イタリアにいましたが、当時のイタリアのテレビは今では信じられませんが、2チャンネルしかない! チャンネルも回すのではなく、押せば2チャンネル、もう一度押せば1チャンネルというボタンのみ。だから、日本の選手の競技などめったに出てきません。そんな中で記憶に残ってるのは男子バレーボールの金メダル、田口・青木両氏の水泳での金メダル。ロシアの体操選手のオルガ・コルブト選手あたりでしょうか? あれから36年。ミュンヘンオリンピックのスーパースター、金メダル7つのマーク・スピッツの記録を、北京ではマイケル・フェルプスが破りましたね。当時「これは絶対破られない」といわれた記録が、破られました。すべての記録はいつか破られるのでしょうか? マイケル・ジョンソンの200メートル 19.32も、「100年破られない」といわれたのに、今回、19.30という驚異的な記録が生まれています。これもまた破られる日が来るのでしょうね。

76年のモントリオールからは昨日のように(笑)覚えています。ナディア・コマネチの登場でした。80年のモスコアのボイコットも社会問題になりました。84年のロサンゼルスは、ULCAを83年に卒業して、バスケットボールチームに関わっていたこともあり、「来年のオリンピックの仕事あるよ」といわれましたが、「日本に帰るのは今しかない」と断って帰ってきたので、テレビを見ながらもいろいろと思いにふけたのを覚えています。カール・ルイスのオリンピックでしたね。

88年はソウル。ここではUCLAの同世代、フローレンス・ジョイナーの活躍が身近に感じました。日本勢では柔道で金メダル無しのピンチを斎藤選手が最後に最重量級を制したのが印象的でした。92年のバルセロナは、ヤワラちゃんの登場(当時15歳!)と古賀、吉田の柔道が印象に残っていますが、最大のインパクトは Magic Johnson / Larry Bird / Michael Jordan などNBAのスーパースターが始めてプロとして参加した「ドリームチーム」でしょうか。

96年のアトランタ。女子マラソンで2大会連続のメダリストとなった有森選手。柔道3連覇の始まりになった野村選手。そしてサッカーでブラジルを倒した、あの「マイアミの奇跡」でしょうか? 個人的には、幅跳び4連覇のカール・ルイスですね。短距離で有名な選手ですが、一番実績があるのはこの幅跳びでした。91年の「東京・世界陸上」で目の前で見たマイク・パウエルの世界新記録に負けたときの悔し涙を覚えていますから、その後オリンピックでは負けなし、という彼の勝負強さに舌を巻きます。96年はもうピークを過ぎて、優勝候補ではなかったときの4連覇ですから。

2000年はシドニー。と、その前に98年の長野。。。あのジャンプ団体戦は、会社でテレビの周りに社員が群がって大絶叫、というのを昨日のように覚えています。スピードスケートの清水選手、岡崎選手、、、印象に残っています。モーグルの里谷選手の金メダルもすごかったですね。

そして昨日のように覚えているシドニーでは、高橋尚子選手のマラソンでの金、地元のスターイアン・ソープ、そして柔道決勝で物議を呼んだ篠原選手の銀、が印象的です。怪物に思えたのは、自分もやっていた競技だから余計に感じたのでしょうが、「渋谷のスクランブル交差点を3歩で渡る男・3段飛びのジョナサン・エドワーズ」です。18メートル、、、、ありえない。

2004年。。。。野口みずきのマラソンでの金、谷亮子の2連覇、野村選手の3連覇、、、。きりがないですが、あえて言うならやはり北島選手の二冠と体操日本の団体金、が私のハイライトですね。夜中に一人で叫んだのを覚えています。

今回の北京での皆さんの印象深かった思い出はなんでしょうか? まだこの間のことなのでいろいろと覚えていると思いますが、10年経っても振り返る北京五輪のシーンはなんなんだろうか?と思って北京オリンピックのハイライトを雑誌などで見てみました。きっと10年後に一番覚えているであろうシーンに選んだのは、「陸上・男子400メートルリレー決勝」のシーンになりました。北島選手もソフトボールも、女子レスリングなどももちろんですが、短距離とリレーは高校時代にやっていて、直線では到底かなわないチームメート(100メートル10秒台が4人もいた高校なので)のスピードにカーブの練習ばかりやって、第3ランナーに食い込んだときのことなどを思い出し、日本がこの競技でメダルを取るということのすごさを感じたので、これを選びました。そして、ウイニング・ランを終えてインタビューブースに来た4人のランナー。。。このレースが印象に残っている理由には競技そのものの興奮とともに、日本短距離界の歴史への感謝を切々と語った末續慎吾選手のインタビューであったと感じています。

本当はオリンピック一回ごとに思い出談義などしたいくらいですが、仕事もしないとしかられるので(笑)、今日はこれくらいにしたいと思います。最後に、日本のオリンピック選手の報奨金、、、、安すぎませんかね? 強化費とともに、スポーツの強化を「国策」にするのか、しないのか (しないならあまりプレッシャーかけないで応援してあげればよいのに、、、と感じてしまうのですが)、検討、議論して欲しいと感じます。強化費40億円で金9個、メダル合計25個、、、、。悪くない、なんて思ってしまった2週間でした。
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……、止まりません!

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