2007/11/30
19年ぶりのイタリア訪問
オートバイのデザイナーだった父親が亡くなってちょうど5年目に当たる、10月12日から21日まで、「初めて!」の(笑)海外旅行に一人で行ってきました。出張と移住を除くと、完全プライベートで海外に行くのは初めてで、出張と違い気楽な反面、空港での乗り継ぎやEUへの入国手続き、イタリアに着いてもFirenzeから目的地のPontederaまでの電車など、やや不安もある中、戸惑うことを楽しむことにして何とか到着しました。何せ住んでいたのは33年前まで、訪問も19年ぶりと、理解できる、ましてや口に出てくるイタリア語は最初はごく限られていて、思うように伝えられない状態すら、この際は楽しむように気持ちを持っていこうと思ってました(とはいえ、英語に頼りがちな時間が多かったのも事実です。。。)。
1971年に父親がまず単身でイタリアに渡り、1972年から2年間家族で住んだ町(その後私以外の家族3名は1984年から10年間ここに戻るのですが)は、車の交通量が増え、田舎町とはいえ外国人が多く移住してきていて雰囲気が変ったところもありながらも、町並みは自然と思い出すもので、初日でほとんどを周りきりました。小さいときに住んでいた町は大人になって訪れると小さく、狭く感じるものですね。
今回の旅行は、観光は20分で行ける斜塔で有名な町ピサと、電車で1時間の位置にあるフィレンツェ以外は行かないことに決めていて、主に33年前に最後に会った中学時代の友人(19年前に数人には再会していますが)に会いに行くことと、父親の生前の交友へのお礼旅行なので、朝起きる時間も決めず(決めないと早起きするのも不思議ですが)、のんびりとしてきました。食べ過ぎに注意、と思ったのは初日だけで、訪問のうわさが広まり2日目以降は毎日のように友人宅で食べると言う、おなかいっぱいの8泊10日でした。
33年前にイタリアを去るときに残してきた野球版ゲームを子供とやっていたり、19年前に持って行ったお土産が部屋に飾ってあったりと、来年50歳になる手前に、父親の78歳の誕生日と亡くなった時期に合わせて訪問した今回の旅行は、うれしさをいろいろと感じる時間が過ごせたこと、自分の原点のひとつを確認できたこと、「行ってよかった」と強く思える時間でした。留守を守ってくれるスタッフがいることでこういうことができるようになったんだな~、と言う思いも併せて、今年のハイライトのひとつです。
生まれ育った荒川区もたまに歩きに行きますが、“Remember Who I am”は自分としても意識を強く持つようにしているつもりなので、決してイタリアと言うような場所でなくても、自分にとっての原点や節目の場所や出来事って誰にでもあると思うので、節目節目でそういう気づきを持っていきたいと、あらためて思い直すきっかけになった10日でした。
●Photos
スクーターで有名なVESPAブランドの親会社Piaggioと住んでいた田舎町Pontederaの教会。
中学時代の仲間たち。Roberto、Carlo、Piergiorgio、IsabellaとIsaの息子。右はPiergiorgioと
親の肉屋を継いだ Marco。昔のあだ名は「ちじれっ毛」でしたが、33年経ちましたから、、、。
右から Isa、CarloとIsaのおふくろさん。右の右端はPiergiorgioの奥さん Monica。彼女の料理はレストラン以上。毎晩のようにご馳走になりました。
Piergiorgioに33年前に残してきた野球版!右は33年前に向かいに住んでいた親父の友人Biondi一家と、どこにでもついて来るCarlo。
VESPAのスクーター。左が全体。よく見るとスクーター全体が牛に見立てられていて、それぞれの肉の部位の名称になっています。このほかにも面白いものがたくさん。。。日本には無いユーモアセンスだな~。
田舎町 Pontederaにある道路標識。一番上に隠れているのが、Firenze(電車で1時間)。
左に行けば斜塔で有名なPisa. ⇒ということで、しょっちゅう遊びに行っていたピサの斜塔に行ってみました。
観光客でにぎわっても大混雑にはならないのがこの広場のいいところ。右は、高所恐怖症ながらテッペンまで登って、斜塔の鐘越しに下を撮ってみましたが、う~ん、腰引けてます。
花の都 Firenze。このアングルを撮るには歩いて30分、坂を上ってミケランジェロ広場まで上がるのです。広場には露店のお土産屋さんが並ぶ。値切りまくると「お前は日本人じゃない。日本人は値切らないものだ」とか言われたり。。。
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