2007/09/05
国際会議のセッションリーダーをやって思うこと
6月に招待を受けて行ったCEAのワークショップに続き、毎年5月にアメリカで行われる国際教育者の年次総会におけるプレゼンテーションの提案を読み、評価すると言う役割を2年続けてやらせてもらいました。自分自身1987年に始めてこの会議に出て20年が過ぎました。7-8回は自分も発表する側にいたので、提案者の気持ちになるとすべての提案を通したくなってしまうのです。
今回の役割は「アメリカ国外からの提案を評価する」というもので、アジアから1人、南米から1人、ヨーロッパから1人、というように4名がリーダーとして依頼を受けました。あくまで「評価と推薦」なので意思決定機関ではありませんが、カンファレンスのテーマ、プレゼンターの経験や知識、テーマの公共性、などなど評価基準に沿って読んでいくこと自体がいろいろな勉強になります。
その中でつい感じてしまうのは、「日本からのセッション提案や知っている人が提出したプロポーザルへの気持ちの動き」 ですね。出来るだけ客観的に、と思いつつもやはり「この人が語るならぜひ聞いてみたい」などと、知っているからこそ感じてしまうことでの不平等さはやっている自分でも感じてしまいます。
そこで、開き直りの一言(笑)。これはやはり88年から参加してきたアメリカの入学審査官協会の年次総会で、今は引退した大ベテランから受け継いだ一言ですが、 Equally Unfair to All という、公平に不平等たれ、と言う趣旨の言葉です。アメリカの大学や大学院の入学審査でも全員が「よーいドン」でゼロから始まるのではなく、そこまでの実績や推薦者などの周りの協力なども含め、さらに自分から何を仕掛けるのか、なども含めて「不平等さを生むための機会が公平に有ればよい」と言うことです。
今回、この2つの役割を担って思うのは、声をかけられたり、自分から手を挙げたりと、自分が影響力を持てる場に出て行くことで、「自分なりの精一杯の不平等な客観性」は他人から見れば不平等でも、それは役割についてくる、人間がやることの許容範囲なのであれば、それも「仕掛けたから得られる自分が関ってきた人や関ってきたことへの貢献であり、感謝と還元」に繋がるのかな、と思うのです。(そうでも思わないと、推薦できなかった提案に申し訳ないので)
その一方で、他の審査員がそれぞれの地域や関っているテーマに全面的にバイアスかけるかな? なんて思うと、やや抑え気味かな~、とは思う面もありましたが、今は役割を終えてほっとしてます。あとは、自分が薦めたセッションが通ること願ってます。
ちなみに、自分も2つセッション提案出しているので、こっちは他人の評価を受けて通るのか通らないのか、提案提出者としても結果を楽しみに(?)しています。通ったら通ったで、今度は準備大変なんですが、、、。あ、でも発信型人間を目指さないといけない、と元受講生にも幾度と無く言われるので(笑)、 「伝えて何ぼ」 のひとつとして取り組もうと思っています。
最後に、今回この役割を依頼してきた15年来の友人が、来年のこの国際会議のカンファレンスチェアー(年次総会実行委員長)なのです! 7000人以上が集まる1週間にわたる会議のカンファレンスチェアー、、、。ちょっと想像出来ないですね。それこそ、セッションは何百もあり、展示場の出展数も半端じゃない大会です。昼食会ひとつとっても何百食、ときには大会場で何千の単位で、ベジタリアンや宗教への配慮などもしながら準備するのです。参加する側として、特に違和感無く過ごせることが、どれだけの準備によって成り立つのか、など考えると来年は知人がかなり関っている会議になる中、20年以上も参加しているいまさらながら、今から感動させられるのです。
「教育と人物交流を通して、世界を舞台に活躍したい人々を応援します」
というアゴスのミッションステートメントの原点のような会議です。毎年5月下旬になるとそこに出て、自分のキャリアを振り返り、「自信と謙虚さのバランス」を整えさせてくれる、このキャリアにおける「ホーム」のような場所です。
ちょっと気は早いですが、日本からセッション提案を出したすべての皆さん、Good Luck! そして See you in D.C.です!
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