2007/08/23
大学における英語教育
気がつけば10日以上もご無沙汰してました。この間、ETSから来日していた方と会ったり、コロンビア大学とハーバード大学の国際関係・公共政策大学院卒業生を迎えてのパネルディスカッションをしたり、MITのMBAプログラムの説明会を訪問したり、大学関係者向けの「大学における英語教育に関して」 をテーマにイベントをさせてもらったりと、伝えたいことはたくさん有ったのですが、今日は順序は逆になりますが、昨日行われた「大学における英語教育」とその後の懇親会で感じたことを少し伝えたいと思います。
昨日のイベントでは東京大学大学院工学系研究科の工学教育推進機構国際化推進室の小野義正博士と森村久美子博士を招いて、東京大学工学部でAGOSが行っているTOEFL対策講座を基に、工学部内でどのような英語教育の取り組みが行われているかを紹介してもらいました。
つい2年前までは大学で講座を開くのは年間1-2大学のみと、決して多くは無かったのですが、現在では8大学でTOEFL対策を中心に英語授業を展開させてもらっています。
私が海外の大学や大学院を訪問したときにも、または元受講生と一時帰国のときや卒業後に会って話をするときにも感じるのが、 「発信できないがためのもったいなさ」です。
たかが語学、されど語学
伝える能力、伝えたいと言う姿勢、伝える中身、 3つそろって初めてメッセージの発信が成り立つのですが、こと伝える能力に関しては「理解できる」から「使える」に、学習目的を切り替える意識が必要不可欠だと感じます。
大学は学問を学ぶところですから、「伝える中身」を身に付けることが優先課題だと考えます。伝える意識は、東大工学部のように「世界で活躍するために語学力は不可欠」と言う意識を植え付けている小野先生や森村先生のような指導者がいることは大きなファクターであり、そういう環境に身を置ける学生は環境に恵まれていると思いますが、いずれにしても「やらなくても良い」と思うにしても「やらないと困る」でもいずれのスタンスでも、真剣にそれがどういう意味なのかを考えてみる必要があると思います。
8月20日の日経新聞に「英語学習はしたいと思っている」という人の80%はその対策に対して「何もしていない」というアンケート結果が出ていました。それを見たときの反射的反応は、
これって、仕事に置き換えると「やらなければいけないと思っているけどやっていない」ということ? それって単なる怠慢? 日本人て今そうなの?
といろいろな思いが頭をめぐりました。
日本のTOEFLランキングはアジアでも21カ国中18位と言う結果を小野先生も紹介していましたが、私は海外の学会に出ると20年来の顔なじみには「日本は Still trying to learn English?」と言うようなことを挨拶代わりの冗談として言われるのです。私はそういう冗談に笑顔で対応できる立場でもなく、何とかしてやる、と言う気持ちも生まれてくるので、悪い気分になるわけではありませんが、「あ~、ニッポンの英語教育ってそういう風に見られているんだな~」と客観的に感じるのです。
昔元受講生に「横山さんの伝えたいメッセージは発信する義務がある。」と言われたことを思い出します。やはり「伝えて何ぼ。わかってもらって何ぼ」というのが国際社会では求められるのです。
私は日本の教育は決して悪いとは思っていませんし、国民全員が新聞を読めてテレビが理解できて、当たり前のいいところを見ないで足りないところだけ見れば何でも穴は見えると思います。しかも、与えられた課題には対応できる能力は極めて高いので、教えているものに対してはそれが導くアウトプットはおおむね出来ているのではないかと思います。であれば、導いている、求めているアウトプットがずれているのかあいまいなのかが問題なのだと思うのです。新聞記事が正しければ「自主的にやる人は少ない」のですが、でも「やらせればやる人間が多い」のであれば、これはもう国策としての強制が必要としか思えなくなってくるのです。そんな話を先週パネリストで来てくれた元受講生とも話しました。その話はまた日を改めて紹介させてもらいたいと思っています。
大学における英語教育に関して、語学を学問として考える部分は必要でしょうし、TOEFLやTOEICのようなもの自体の対策方法が実用的英語力の指標として万能だとは思っていませんが、だからと言って「目に見える成果」から逃げている、または「目に見える成果を求めない」教育がもたらすものは何なんだろうとも感じるのです。
終身雇用が前提で入社後3年間は会社が教育中心で新卒社会人を育ててくれた時代は壊れつつあり、新卒で就職した人たちの1/3が3年以内に退職する現在、大学教育にかかる期待も当然変わっていくと思われます。ましてや18歳人口減少の中、大学の国際化は大学の存続そのものにもキーポイントになると考えます。
1980年代のアメリカでも人口の減少は起こりました。そのときに「大学院の増設」「生涯教育の拡大」「留学生の受け入れ拡大」が大学経営の3大テーマになりました。日本でも似たようなことが起こりつつありますね。日本が国際教育のアジアのハブになっていない現状を個人的にはとてもさびしく感じています。大学の国際化に関しての雑談などは学校関係者とする機会もあるのですが、さまざまなテーマが入り組んでいて単純には言えないことは承知のうえで「学生の英語力」「職員と教授の英語力」が大学の国際化の始めの一歩であることは逃げて通れない現実だと感じます。
昨日お越しいただいたお二人の先生も「世界を舞台に生きて行く人財」を育成すると言うことが大前提のミッションを掲げていて、そのさまざまな取り組みの中のひとつに関らせてもらうことの意味をあらためて感じる一日でした。
たかが英語、されど英語。。。自分を振り返ってみて、英語が出来ることで出会えた人々、得られた機会、もらった刺激、、、。本来語学は意思疎通のツールですから、一度しかない人生をどこでどういう人たちと何を感じながら時を過ごすのか、ということを考えるときに、その自分が楽しめ、輝ける場所と時間を増やしてくれるもののひとつだと思って取り組んで欲しいと思うのです。
自分自身、昔は海外生活が長いのに英語力をほめられることが素直に喜べず、むしろ「そんな平たい長所しか見てもらえないのかな?」と思ったこともありましたが、今は素直に、そのツールを持てたことに感謝しています。むか~しむかし、中学生に英語を教えていたときに「英語できてよかったね~。できなかったら他にとりえ無いもんね~」と言われたことがありました! 25年後の今、「確かに」と思う部分が多いのです(笑)。
ITスキルや法律の専門知識を持っている方々、政治や経済の専門家になる方たちも、みんな世界共通語としての意思疎通のツールを持つことで人生の幅が変わります。 それを「強制してやらせる環境」として、これからもっと多くの大学で我々のできることやらせてもらえればと願っています。

右上は講演いただいた小野先生、真ん中左は講演いただいた森村先生、真ん中右は小野先生を囲んで京都大学からの参加者、アメリカから出張で来日していた20年来のカラオケ仲間のサムエル・シェパードさんと私、下は懇親会にて。森村先生をはさんで左が社長の本多
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